芦屋浜の歴史

芦屋浜から六甲山麓にかけて、全国屈指の邸宅街へと発展。

約2万年前から人の暮らしを紡いできた芦屋。古代の氏族の始祖や系譜を記した書物には、芦屋漢人(あしやのあやひと)という名が見られ、古墳時代の渡来人による文化が海を渡って伝わりました。かつて「漢人の浜」と呼ばれた芦屋浜は、阪神電車の開通に伴い、芦屋と打出に停留所が置かれ、海水浴場や海浜別荘地が建設されるとさらに賑わいを見せていきました。やがて、西洋のスタイルを取り入れた「阪神間モダニズム」と呼ばれる生活様式が花開き、時の名士や富裕層の多くが、より豊かな居住環境を求め、芦屋の街に移り住みました。現在では、「六麓荘町」をはじめ、関西有数の邸宅街が点在する格式高い街として、人々の憧れを集めています。

周辺写真

打出・芦屋浜エリアの軌跡

1871年(明治3年)
芦屋市の前身・精道村、誕生。
明治初期、廃藩置県により、芦屋村・打出村・三条村・津知村の4村が兵庫県の管下に入り、1889年の市制・町村制施行によって、4つの村が合併して「精道村」となりました。
1905年(明治38年)
阪神電鉄本線「打出」駅、開通。
1905年に阪神電車が開通し、芦屋と打出に駅が置かれると、海水浴を愉しむ人々で賑わいました。さらに、1913年にJR芦屋駅、1920年には阪急電車が開通。神戸-大阪間をつなぐ交通網が発展しました。
1975年(昭和50年)
芦屋浜シーサイドタウン、完成。
1940年、精道村から芦屋市に変わり、芦有道路と奥山の開発、下水道事業・区画整理事業・国道43号などの基盤整備が進められ、めざましい発展を遂げていきました。

芦屋浜町の人口・世帯数は、過去10年間で増加。

「街並がきれい」「ステータス感がある」「洗練されている」などの理由から芦屋市は「住んでみたい街ランキング」において、毎年上位に選出されるほど、人々の羨望を集めています。「フォレスティア芦屋浜町」が誕生する芦屋浜町は、過去10年間で人口が増加し、多くの世帯に親しまれています。

稀代の文豪に愛された芦屋を詠む。

平安時代の歌物語で知られる「伊勢物語」には、芦屋の別荘に住んでいた在原業平が、京の都から訪問者を「布引の滝」ヘ案内したことが描かれています。さらに「万葉集」をはじめとする歌集にも芦屋の美しい自然が取りあげられ、古典文学にその名を残しています。近代では、芦屋に居を構えた文豪谷崎潤一郎や村上春樹など、芦屋の街を舞台にした作品を残しています。