コンセプト【公式HP】フォレストガーデン荻窪今川
key visual
荻窪の文化に、暮らす。
これまでも、これからも。
荻窪の文化を愛する人たちへ
古くから多くの文化人に愛されてきた街、荻窪。
ここに暮らすことは、古くは江戸時代から続くこの街の歴史の中に暮らすということ。

そして、この街のこれからの歴史を継承してゆくこと。

街の歴史が受け継がれ続けているのは、
人々にずっと愛され続けられる文化が息づいているからに他なりません。
充実した都市機能がもたらす暮らしやすさ、落ち着いた住宅街の安らぎ、公園などの緑の豊かさ。
魅力あるこの住環境は、愛され、これからもさらに成熟し続けることでしょう。

Classic―
住まいづくりの歴史を積み重ねてきた「住友林業」が、
この荻窪の文化にふさわしい、オーセンティックで永く飽きのこない邸宅をご用意いたしました。
HISTORY
明治24年、荻窪駅開業。
ここから豊かな緑に溢れる邸宅街の歴史が始まった。

荻窪は安定した武蔵野台地のほぼ中央部に位置し、現在も多くの自然が残されています。明治22年、甲武鉄道(現・JR中央線)が開通し、明治24年に「荻窪」駅が開設されて以降徐々に住宅地や商業地がつくられていきました。特に井荻村で行われた土地区画整理事業は、村長だった内田秀五郎(うちだ・ひでごろう)が中心となり村全域を対象とし計画が進められました。秀五郎は将来の都市化を見越した区画整理の必要性を説き、大正14年に「井荻村土地区画整理組合」を設立。反対派を説得のうえ約10年をかけてこの事業を完了させました。整理総面積は約880ヘクタール以上に及び、単一の町村が独自で行った区画整理事業として、当時全国屈指の大規模なものでした。この区画整理事業の功績は現在も街に色濃く残っており、広々とした道がまっすぐに伸び整った街並が続く美しい住環境となっています。

中央線に続き西武軌道(現・西武鉄道)など私鉄も開通し、学校や病院などの施設が続々と誕生していきました。この頃から、井伏鱒二や太宰治、与謝野鉄幹・晶子夫妻などの当時人気のあった作家らがこの地に住み始め、それに続くように多くの文化人が集う街となっていきます。こうした文化人たちが与えた影響は大きく、この街に文化的な風土を醸成し、現在でもその精神は受け継がれ、音楽や食などをはじめとした荻窪独自の魅力的な文化を育み続けています。

荻窪の文化を暮らす、
住友林業の新しい邸宅街
「フォレストガーデン荻窪今川」
  • ※1妙正寺(徒歩8分/620m)、荻窪八幡神社(約880m・徒歩11分)