木の特性を熟知した木造化・木質化|独自の強み|新卒・中途採用情報|住友林業

Strengths

本物の香りとぬくもりが、人に与えてくれるもの。

本物の香りとぬくもりが、
人に与えてくれるもの。

-木化事業と、宮野森小学校をはじめとした東北復興への取り組み-

Introduction
国土の7割が森林である日本において人々は、昔から「木」に慣れ親しんで暮らしてきた。
住友林業は、その社名が表す通り、山林事業をはじめとして「木」を事業の柱としてきた。つまり、林業及び木造建築の未来を明るいものにすることは、自分たちの存在意義であり、使命である。
このストーリーでは、そのような想いから生まれた「木化事業」の紹介と、その取り組みで浮き彫りになった、木材がもたらすかけがえのない「価値」を紹介する。

- Chapter 01 -


屋上、壁面、あるいは街全体を“緑化”するという概念は、環境への配慮が高まると同時に、多くの世の中に浸透していったことであろう。一方、“木化”という言葉は、現状ではそれほど認知されておらず、言葉自体も、緑化ほどポピュラーではない。
住友林業において、木化事業が新事業として発足したのは2010年。建物や街づくりにおいて木造化・木質化を推進することで、改めて木材の良さや価値を広めていこうという「木化宣言」のもとに、「木化=MOCCA」という愛称で事業を展開することとなった。
2011年。東日本大震災が、東北地方を襲った。
それまで住友林業は、老人ホームや保育園を鉄筋コンクリート造ではなく木造で建築するなど、主に非住宅の領域で事業を推進しながら、次に打つべき手のための情報収集や検討を行っているところであった。
被災地の復興に向けて、住友林業ができることはないか。選択したのは、非住宅での貢献だった。

- Chapter 02 -



岩手県陸前高田市高田町。震災後、復興に向けて動き出しており、ここには、震災に打ちひしがれた人たちが寄り合う、小さな集落ができていた。なかでも「みんなが気軽に集まって話ができる“リビング”のような場がほしい。」地域の切実なニーズだった。
そこで住友林業は、それに応えるカフェスペースとなる木造の仮設リビングを、取引先とともに提供。関係者の尽力によりわずか2週間で大工工事を終えることができた。本来なら、室内にそこから石膏ボードを貼り、ビニールクロスを貼り、と内装仕上を施すが、地域の方々が求めていたのはそのようなものではなかった。普段の生活はスペースの限られた無機質な仮設住宅、だからこそ生命の息吹が感じられる木の香りに包まれ、くつろげる空間こそが、求められていたものであったのだ。
そうして、ほぼ内装仕上工事なしの木現しで完成となった「まちのリビング」は、いつも地域の人が集い、くつろぐ場となっていった。はじめの頃は、現実のつらさに涙を流す人も少なくなかったが、やがて人々の集まりの中から周りを励ましリードする方が現れた。
「いつまでも泣いていたって仕方がないでしょ?あなたは何ができるの?」
生け花ができる人には花を飾ってもらう。パンが焼ける人にはパンを作ってもらう。一人ひとりが自分のできることに熱中するうちに、後ろ向きに嘆く気持ちは遠ざかり、互いの“できること”に感謝をし合い、前を向いて進んでいこう、という空気が生まれたのだ。
涙を、笑顔に。前向きな気持ちにさせたのは、木といういのちの香りだったのかもしれない。

- Chapter 03 -




2012年。住友林業は、宮城県東松島市と街づくりの連携協定を結んだ。
協力する分野は、木質バイオマス発電のための燃料調達や技術支援、林業の推進、木造公共施設の建設、防災林をはじめとした緑化の推進と広範にわたるものであった。街づくりではその素材の中心に「木」を置くこととなった。いわば「木化都市構想」と言えるもので、東松島市にとっては雇用などを含む包括的な“持続可能”な街づくりというメリットがあり、住友林業にとっては創業以来培ってきた、木と木の住まいに関するノウハウ、実績を活かし、東松島市の復興まちづくりについて貢献できる機会となる。
プロジェクトの目玉のひとつに、「木造での小学校校舎の建築」があった。
着工に先立ち、2012年、横浜での住まい博(住友林業が実施している大規模家づくりイベント)で木造での教室が仮設にて展示された。高齢者には懐かしく、子どもたちには新鮮な想いで受け止められ、極めて好評であった。
しかし、近年例のない木造での校舎建設であること、予算面の問題等で、関係者の一部からは異論も噴出し、プロジェクトは暗礁に乗り上げたこともあった。乗り越えられたのは、今こそ教育に力を入れるべきという有識者の強い意志、傷ついた子どもたちの心に優しさを提供したいという関係者の想い、そして先行して提供されていた現地の木造クリニックが、地域のシンボルと言われるまでに高い評価を得ていたことが要因となった。

宮古小学校、野蒜小学校が合併し、宮野森小学校となり、その校舎が、木造で建築されることとなった。順調に進む工事の中、学校関係者にはある強い願いがあった。
「被災時、1年生だった6年生(2016年当時)が、卒業する前に完成させてほしい。」
6年生の中には、悲惨な光景を目の当たりにし、その幼い心に傷を負った子もいる。そんな子どもたちに、優しい木の香りに包まれた校舎で、新しい一歩を踏み出す機会を提供してあげたかったのだ。
当初の竣工予定は2017年春。しかし、関係者の想いを受け止めた工事関係者の努力で、2016年1月には竣工を迎えることができた。光が入り、明るい雰囲気の体育館。3学期の始業式には、学校関係者と143人の子どもたち、その保護者、工事関係者、市の職員などが集まった。壇上に立った校長先生は、こう語りかけた。
「さあみんな、目をつぶって。深呼吸して。・・・いい香りだろう?みんなで、この校舎を大切にしていこうな。」
こらえきれず嗚咽を漏らす工事関係者。市長の眼も赤い。
思えば、木材も生き物。いのちの大切さを、他の地域よりも強く感じている子どもたちは、木材といういのちが醸す香りに包まれ、これからも育っていくことになる。
校舎が木造になってから、子どもたちの笑顔が増えたようだと、関係者は語っている。
校舎のあちこちには、子どもたちがつくった、「妖精」と呼ばれるフィギュアが置かれ、優しく子どもたちを見守っている。

- Chapter 04 -

宮野森小学校の建築に携わった住友林業の社員は、取り組みについてこう語る。
「確かに木は、汚れたり変形したりと、化学的につくられた建材に比べれば劣化する可能性は高いかもしれません。ただ、劣化したら取り換えればいいという考え方よりも、いのちあるものを大切に、丁寧に使っていく、という発想と環境のほうが、特に子どもの教育にはプラスになると考えています。」
加えて、本物の木には合成建材などにはない、ぬくもりと香りがある。これが、その空間で過ごす人に少なからず影響を与えている。
木化事業の事例には、宮野森小学校だけではなく、数多くの保育園・幼稚園など、子どもが集う建物がある。そのような施設からは、「子どもたちのケンカが少なくなった」、「遊びに対する集中力が高まった」などの報告を受けることがある。
木化営業グループも、これまでの取り組みの中から「より多くの人が、より長い時間滞在する建物でこそ、木化の真価が発揮される」という気づきを得ている。そのため近年では、オフィスビルの木化も積極的に推進されており、その象徴として、2041年を目標に「W350計画」を発表している。
そのほか、宿泊施設、教育施設、医療施設、オフィスビルなど、様々な種類の施設で木造化・木質化が取り入れられ、その価値と効果を実感している。今や木目を再現する技術は、極めて高く、目で見た情報で印刷された木目と、本物の木目を見分けることは難しい。しかし、木が醸し出す香り、触れた時に感じる優しさは、本物でしか実感できないものなのだ。
木化営業グループの社員も、こう語る。
「まずは、本物でしか実感できない木の良さを広く周知してもらうことが重要です。日本にはそのようなソフト面がまだまだ浸透していないことが課題です。ハード面に対する弱いイメージだけが先行してしまっている。様々な技術を駆使し、安心できるハード面のことを知ってもらうために、ソフト面に深く共感してもらうことが今後のミッションである」

本物の木材の良さ、価値を共有し広めていくこと、それが、木化事業が目指す、明るい未来のありようなのだ。

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