約2万年前から人の暮らしを紡いできた芦屋。古代の氏族の始祖や系譜を記した書物には、芦屋漢人(あしやのあやひと)という名が見られ、古墳時代の渡来人による文化が海を渡って伝わりました。かつて「漢人の浜」と呼ばれた芦屋浜は、阪神電車の開通に伴い、芦屋と打出に停留所が置かれ、海水浴場や海浜別荘地が建設されるとさらに賑わいを見せていきました。やがて、西洋のスタイルを取り入れた「阪神間モダニズム」と呼ばれる生活様式が花開き、時の名士や富裕層の多くが、より豊かな居住環境を求め、芦屋の街に移り住みました。現在では、「六麓荘町」をはじめ、関西有数の邸宅街が点在する格式高い街として、人々の憧れを集めています。
「街並がきれい」「ステータス感がある」「洗練されている」などの理由から芦屋市は「住んでみたい街ランキング」において、毎年上位に選出されるほど、人々の羨望を集めています。「フォレスティア芦屋浜町」が誕生する芦屋浜町は、過去10年間で人口が増加し、多くの世帯に親しまれています。
平安時代の歌物語で知られる「伊勢物語」には、芦屋の別荘に住んでいた在原業平が、京の都から訪問者を「布引の滝」ヘ案内したことが描かれています。さらに「万葉集」をはじめとする歌集にも芦屋の美しい自然が取りあげられ、古典文学にその名を残しています。近代では、芦屋に居を構えた文豪谷崎潤一郎や村上春樹など、芦屋の街を舞台にした作品を残しています。