●わたしらしさを楽しむ家づくり
2020/01/10 公開
私たちの暮らしの中には、四季折々の変化や伝統を大切にする、さまざまな風習や行事があります。春のさまざまな行事の由来を知ることで、毎日がちょっとだけ楽しく、豊かになります。
※ご紹介する内容には諸説ありますので、あらかじめご了承ください。
中国から朝鮮半島を通じて古代日本に伝わった「暦」。日本の気候や暮らしに合わせて改暦が行われながら、生活の中に根付いていきました。
「二十四節気(にじゅうしせっき)」は、太陽の動きを元にして春夏秋冬をそれぞれ六つ、15日ごとに分けて季節の指標としたものです。
その二十四節気をさらに三つにわけたものが、「七十二候(しちじゅうにこう)」。季節や天気、生物の様子を表す二十四節気と七十二候は、人々の暮らしに欠かせないものでした。
また、かつて中国では奇数が重なる日に邪気を払う行事が行われていました。その風習が日本に伝わり、「五節句」が生まれました。
五節句のうちの一つ、3月3日に行われる「上巳(じょうし、じょうみ)の節句」。
中国では、この日に水辺に杯を流して災厄を払う行事がありました。日本に伝わってからは紙で作った「人形(ひとがた)」に穢れを移して川や海に流す行事となり、やがて「流し雛」に発展しました。
ひな祭りは「桃の節句」とも言います。
3月は桃の花が咲く季節。3月11日から15日にかけては、七十二候の「桃始笑(ももはじめてさく)」です。
桃は、中国では「仙木」「仙果」と呼ばれ、魔除けや長寿に効果があるとされています。
また桃はたくさんの実がなることから「子宝に恵まれる」という意味もあり、女の子の成長を願って、この日に飾られるようになったと言われています。
男雛と女雛の並べ方が、関東と関西では反対になることがあります。
関東では女雛の右側に男雛を並べるのに対し、主に京都などの関西の一部では女雛の左側に男雛を並べます。
日本には古来より、「左方上位」という考え方がありました。大臣の人形も、右大臣より左大臣の方がおじいさんで、身分が高くなっています。京都ではそのしきたりを守って、女雛の左側に男雛を置くのです。
しかし西洋の文化では反対に、右側が上位とされています。大正天皇は即位礼の際に、皇后陛下の右側に立たれました。関東ではそれに従い、女雛の右側に男雛を置く習慣が広がりました。
昼と夜の長さがほぼ同じになり、太陽が真東から上って真西に沈む春分の日は、仏教では「あの世(彼岸)」が最も近くなる日とされています。春分の日を挟む前後7日間を「春彼岸」と呼んでお墓参りをするのは、日本独自の習慣です。
お彼岸のお供え物といえば、"ぼたもち"です。小豆の赤い色には魔除けの力があると言われ、行事の際にはよく食べられていました。元々は「牡丹餅」で、小豆の粒を春に咲く花の牡丹の花びらに見立ててその名が付いたと言われています。
また秋のお彼岸に供えられるものは、まったく同じものでも"おはぎ"と呼びます。これも、秋の七草の一つである萩の花にちなんで名付けられました。
では、「ぼたもち=おはぎ」なのかと言えば、一概にそうとは言えません。
秋が旬の皮がやわらかい小豆で作った粒あんを使うのが"おはぎ"、皮が硬くなる春はこしあんを使うのが"ぼたもち"という説があれば、餅にもち米を使うのが"ぼたもち"、うるち米を使うのが"おはぎ"、という説もあります。
いずれにせよ、「春のお供え物はどっちかな?」と迷ったときは、花の姿を思い出すと良いかもしれません。
「国民の祝日に関する法律」 によると、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」と定められていますが、毎年同じ日ではありません。2020年の春分の日は3月20日ですが、21日になる年もあります。
そもそも春分は、太陽が地球の赤道を延長した「天の赤道」と、太陽の通り道の「黄道」が交差した「黄径0度(春分点)」に到達した"瞬間"を指し、その瞬間を含む日が「春分の日」となります。地球の公転は365日と約6時間かかるため、春分点を通過する時間にズレが生じます。そのため、毎年同じ日が春分の日とはならないのです。これは、秋分の日も同様です。
国立天文台が地球の運行状況を観測し、毎年2月の第一平日に発表する「暦要項(れきようこう)」で翌年の春分・秋分の日が公表しています。興味を持った方は、ぜひ確認してみてください。
「端午」は、元々は「毎月始め(端)の午の日」という意味でしたが「午(ご)」が「五」に通じるとして、5月5日を指すようになりました。この日は紀元前の中国の政治家・屈原(くつげん)の命日で、供養のために川に粽(ちまき)を投げ入れる風習が、やがて国家安泰を祈願する行事へと変化しました。
童謡『背くらべ』に出てくるフレーズですが、関東では粽はあまり一般的ではありません。
ここで言う粽は、おこわが入った中華ちまきではなく、餅を笹や真菰(マコモ)、茅(チガヤ)で巻いて長円錐形にした餅菓子です。端午の節句の由来となった屈原の命日に供物として使われ、伝統を重んじる京都を中心とする関西地方では一般的です。
一方関東では、「柏餅」が多く食べられています。柏は、新芽が出ないと古い葉が落ちないことから、「子どもが生まれるまで親が死なない=代が途切れない、子孫繁栄」につながる神聖な木とされてきました。江戸時代の武家社会では、男児の成長を願う縁起物として柏餅を食べる習慣が生まれたと言われています。
二十四節気では「立夏」で、季節の変わり目で急に暑くなる5月には病気で亡くなる人も多くいました。そこで、強い香りが邪気を払うとされた菖蒲を軒に下げたり、お酒に浸して「菖蒲酒」にしたり、お風呂に入れたりして厄払いをしたと言われています。菖蒲は「尚武」に通じることから、武家では男子の成長を祈願する風習となりました。
また、まっすぐ伸びる菖蒲の葉は刀のように見えることから男児の遊び道具となっており、後に節句飾り木刀が「菖蒲刀」と呼ばれる由縁になりました。
四季を感じられる家で、季節の行事や節目を大切にしながら、日々を大切に過ごす。『The Forest BF』では、七十二候の繊細な季節の移ろいを暮らしに活かす、新しい設計をご提案しています。
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